
みなさんはえだまめと一緒に暮らしたことがあるだろうか?
世界は広いとはいえ、えだまめとの共同生活を経験した人は少ないと思う。
"なぜ、えだまめとの共同生活を経験した人が少ないか"この謎を解明することは永遠の人類のテーマのひとつだ。
居酒屋に行ったらえだまめの置いてない店を探すことの方が難しいし、さらにはずんだ餅のようにスイーツとしてまでも愛される。
"おつまみからスイーツまで"そんなキャッチコピーをつけるにふさわしいえだまめ。
ここまで人類に愛されてきたえだまめ。
なぜえだまめとの共同生活を経験した人がいないのか疑問に持たない人類に、僕は疑問を持っている。
そしてボクはふと、ひとつの仮説を立てた。
人々は"えだまめを愛しすぎるが故に、えだまめと共に暮すなど恐れ多いと感じる"ようになってしまったのではないだろうか?
人間が神と暮らせないのは明白だ。
えだまめも神と同じ存在に、人間の中でなったのではないだろうか。
この一点の曇りもない仮説を、いや"真実"に辿り着いた僕は、会社の同僚にこの仮説について聞いてみることにした。
僕「あ、あの、、なぜ人はえだまめと暮らさないのだと思いますか・・?」
同僚「意味ねーじゃん。それにきもいし。臭そう。」
僕「・・・」
同僚「てかお前誰?」
ということでこんにちは。
今日はえだまめと暮らしたことのある唯一の人間であるボクが、えだまめと暮らした日々について記録を残そうと思う。
勘違いしないで欲しいのは、これは"えだまめの栽培日記"みたいなちゃちなものではないということ。
これは人間とえだまめの歴史。
100日間の燃えるような濃密なえまだめとの日々。
それを後世のため、未来の人類のために残さなければならない。
それがこの記事の目的だ。
―――この物語は数年前の僕の誕生日から始まる。
目次
【1日目】 動き出した秒針は誰にも止められない
誕生日に"えだまめ栽培キット"なるものをもらった。
しかも2つ。
同じ人からではない。
別々の人間から同じ日に、全く同じ"えだまめ栽培キット"をプレゼントとして渡された。
このときの僕の気持ちがわかるだろうか?
僕「え、なんでこれなの、プレゼント。」
そう僕が聞くと
バカ×2「ビール好きじゃん」
"ビールが好き=えだまめ育てたい"、なのだろうか。こいつらの頭の中では。
そんな理由で2つもゴミを渡されたとき、僕は自分の友人関係を整理することを決意した。
とはいえ、せっかくお金を出して僕のために買ってきてもらったものを無下にするほど僕は愚かな人間ではなかった。
建前だけでも笑顔を見せ、ありがとー!ビールすきだからうれしーわ!と答える。
そして受け取った箱を開けると、2つのコップが出てきた。
僕はそれぞれのコップにプレゼントをくれた人の名前を刻み、水をあげることにした。
うん、ごめん。
数年前のことだから、なぜこのえだまめ栽培の器にチェイサーゲイヤマって書かれてるのかはわからない。
チェイサーゲイヤマなどという友人がいた記憶はないし、そんな名前をつける親もきっとこの世にいない。
チェイサーゲイヤマがなにものなのか、この謎もまた人類の永遠のテーマのひとつなのかもしれない。
【2~10日目】始まりと、終わり。そして愛。
話が大幅に脱線してしまった。僕も想定外だ。
水をあげ始めて数日、チェイサーゲイヤマに変化が訪れた。
真っ黒な土から鮮やかな緑の芽が顔を出していることに気づいた。
うわ、まじで発芽した。
それが最初の印象だった。
発芽さえしなければ毎日水をあげることもなかったのに、とすこし後悔をした。
また明日からも水をあげなければならないと思うと気が重かった。
10日目、確実に成長していた。
この頃になると少し、ほんの少し愛着が湧いてきていることを感じた。
お、今日もちょっと大きくなったじゃん。
そんなことを朝、水をあげながらつぶやく。
いつも一人だった僕に友人ができたような、そんな気持ちになった。
【11~30日目】 人生を豊かにするのは友情か、愛情か
15日目。
彼らは完全に生きている。
生きてそして、成長している。
教えたことをすぐに吸収する子供のように、水をあげたぶんだけ成長するその姿に、僕は母性すら感じる様になっていた。
20日目。
いきなり棒が立っていて驚かせたかと思う。
僕はこの時、いつものように水をあげにくとチェイサーゲイヤマがうなだれているのを見つけた。
僕の友達でもあり、子供でもあるチェイサーゲイヤマ。
僕は慌ててえだまめの育て方やえだまめが倒れてしまったときの対処法を検索した。
ある程度育ったら支柱を立てる必要があると色々なサイトに記載があったので、支柱をとりあえず割り箸で作った。
うなだれているところを写真に収めることなどできないくらいには僕は慌てていた。
それほどまでに、愛していたんだ。
25日目。
立てた支柱を更に超え、チェイサーゲイヤマは成長を続けた。
かわいい。愛おしい。
30日目。
もはや森。
この頃は毎日水をキッチンに取りに行くのがめんどくさくなって水をコップにストックするようになっていることが写真からわかる。
チェイサーゲイヤマが成長するように、人間であり、親である僕もまた成長していたんだ。
【31~60日目】正しいことは1つとは限らない
チェイサーゲイヤマの成長は止まらない。
この頃は夏まっさかり、猛暑の日々が続いていた。
水を1日でもあげ忘れると、すぐに枯れてしまうことを僕は色々なサイトから学んでいた。
この時、ぼくは友人と一泊の旅行に行く予定があった。
迷った挙げ句、僕は旅行の予定をキャンセルした。
旅行はいつでもいける。
でも、チェイサーゲイヤマとの日々はいつまで続くのかはわからない。
それにここで水を1日あげ忘れることで枯れてしまったら、僕はどれほど後悔をするのだろうか。
僕はこの判断を間違っているとは思わない。
50日目。
枯れ・・・て・・・いる?
おかしい。
僕は毎日水をあげた!
僕は!旅行を捨てて!!友情を捨てて!!!!チェイサーゲイヤマと過ごすことを選んだ!!
毎日の水やりを忘れたことはない!なのに!!!
なんで!!!!!
僕はうなだれた。
ここまで愛しても、ここまで尽くしても、僕の愛は無駄だったのだろうか。
うっすらと涙を浮かべた僕は、チェイサーゲイヤマに触れる。
いままでの日々を思い出しながら、彼を看取ることにした。
最初はこんなゴミをプレゼントでくれるなんてふざけんなって、思ってたよな、、
ん・・・?
あれ・・?
そこにあったのは希望だった。
【61~99日目】上を向いて歩こう
65日目。
もはやなにがなにやらわからない。
枯れていると思っていたが、どうやら枯れているわけではなく、正しい成長だったようだ。
よかった。まだチェイサーゲイヤマとの生活を続けられる。。
70日目。
誰がどう見ても、これはえだまめだ。
僕が毎日水をあげることで、ここまでに成長した。
"努力は無駄ではない"なんて、テレビや漫画でよく目にしていたけれど、初めて実感としてその言葉を理解した。
90日目。
青々とした立派なえだまめがそこにはいた。
しかしそれは、チェイサーゲイヤマとの生活の終わりが近いことも意味していた。
しかし、その事実に気づいていながらも、僕は気づかないふりをして生きていたんだ。
99日目。
ついにこのときがやってきてしまった。
収穫、そしてチェイサーゲイヤマとのお別れの時。
99日間も毎日水をあげていれば、愛着が湧くとかそういう次元ではない。
明日になればもうチェイサーゲイヤマがいないと思うと、正気でいられる気がしなかった。
まだ、、離れたくない、、この1週間ずっと考えていた。
しかし、それは人間であるぼくのエゴであることも、わかっていた。
僕のエゴで水をあげ続け、枯らしてしまうことが本当にチェイサーゲイヤマが求めていたことなのだろうか?
いや、きっとちがう。
僕は育てた親として、彼が一番輝いている時期に収穫し、食べることが一番の感謝の形なのだと思った。
【100日目】オワリノトキ
心を決めた。
もう振り返らない。
僕はえだまめを、チェイサーゲイヤマを収穫する!
そして美味しく食べる!これでこの物語は完結。
決めたのならばもう、あとは美味しく調理してあげるだけだ。
僕はインターネットでえだまめの調理方法を検索した。
ふむふむなるほど。
さやつきでいいのね。
えだまめ300グラムに対して塩40グラムに水1リットルね。
なるほどシンプルだ。これなら僕にもできそう。
ありがとう。
僕に友情を、母性を、愛を、教えてくれた。
本当にありがとう。
収穫したえだまめ。かわいい。
自分で育てたえだまめ。絶対美味しいに違いない。
茹でる前にもう一度レシピを確認しておこう。
なるほど。えだまめ300グラムに対して水1リットルに塩40グラム。
・・・。
旅行行けばよかった